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津和野観光
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津和野町は、島根県と山口県の県境にある、小さな城下町です。町の中心部を津和野川が流れる細長い盆地です。初めて来たのに、以前も来たことがあるような町。時間の流れが止まっているような町。
だからでしょうか。テレビで度々紹介され、何度も何度も訪れる観光客も多い津和野です。
津和野町では忘れられない70年代のアンノン族
〜癒しの原点がここに〜
70年代の雑誌「anan」と「nonno」の雑誌を片手に旅をする女性、いわゆるアンノン族が、この津和野町を多くの方が訪れました。大学の卒業旅行は、津和野へという女性も多かったようです。
その当時の津和野は、今のように有名な観光地ではありませんでしたが、紹介されて、大きな津和野への旅行ブームが起きました。それから、津和野がメジャーな観光地となったのです。
なぜ、ブームになったのでしょうか?それは、今の時代と同じような癒しを求めていたからではないかとも言われています。そのアンノン族で来られた方が、約40年以上もたって、津和野に来られて、沙羅の木の「文芸茶房」で、当時のことやご自身の青春時代を思い出されて、話しかけられることもあります。津和野は、ブームになっても、ブームが去っても、いつまでもそのままの風情と情緒で、みなさまをお迎えしています。
津和野観光は歩くのが一番!
津和野の町は、盆地のなかの小さな町です。しかし、風情は、四季の花や風で、大きく変わります。1日でも、朝、昼、夕方、夜と、日差しによって、変わる詩心あふれる町です。はじめて来た町であるのに、どこか懐かしい。小さな路地も、歩いてみたくなる、そんな町です。
観光で津和野のよさを知るためには、歩くか自転車で回るのが、いいです。その中でも、やはり歩くのが一番です。
歩く津和野観光の拠点は、「沙羅の木」
津和野観光の中心地、津和野町殿町の沙羅の木から、徒歩や自転車で主要な観光地を回ることができます。なぜ、沙羅の木がいいかというと、津和野を堪能して、家路に向かう前に、もう一度見たい空間が、沙羅の木の前の殿町の鯉のいる風景だから。この風景を見て、「よし明日からまた、がんばろう」って、家路に向かえば、全てがうまく行くような気がします。みなさんも、お試しください!
殿町(沙羅の木より徒歩0分)
藩校養老館址(沙羅の木より徒歩2分)
天明6年8代藩主亀井矩賢公の創設と言われています。明治5年までに、旧藩士の師弟に対して、学問、武芸などを教え、津和野藩の文化・人材育成の中心でした。「養老館」と書かれた提灯が、いいですね。
多胡家老門(沙羅の木より徒歩1分)
この藩校養老館址のあたりは、かつての老屋敷が集まっていたところで、津和野藩の中心地でした。この多胡家老門を見上げると、当時の家老の権勢を物語っているようです。前で記念写真を撮る方が多いですね。
カトリック教会(沙羅の木より徒歩0分)
石造りの美しい協会で、その高さで、武家屋敷の中の殿町を歩いても目立ちます。内部のステンドグラスが美しいです。内部が畳敷きなのも珍しい協会です。
しかし、その美しさの中には、悲しい明治時代の殉教の歴史があります。その慰霊のために、建てられたのがこのカトリック教会で、敷地内に、乙女峠展示室があり、詳しい歴史が紹介されています。
春には、桜の花が咲き、美しい風景となります。
沙羅の木
この殿町の入り口に当たるのが、沙羅の木です。歩いて、少し疲れてきたら、「沙羅の木 本店」の「文芸茶房」で頂く、特選コーヒーは、最高です。森鴎外(森林太郎)は、この津和野に生まれました。そして23歳でドイツ留学へ。医学の勉強はもちろん、文学、演劇等に親しみました。当時のヨーロッパではすでに「コーヒー」が普及し、楽しむ風習がありました。鴎外もその中で、語らってきたと思います。そのような森鴎外を偲びつつ、味わうコーヒーは、自分自身を見つめる一時でもあります。
安野光雅美術館(沙羅の木より徒歩13分)
安野光雅氏は、津和野町の出身です。淡い色調の水彩画で、やさしい雰囲気漂う作品として、有名です。国際アンデルセン賞など、数多くの賞を受賞されています。
お子さん連れで、作品を見てもいいですし、大人同士でも、作品を見ると、心が暖かくなってくるのが不思議です。安野光雅氏の現在のアトリエスペースを再現してあり、ここで、あの世界が生まれたのだと思うと、また、作品が違って見えてきます。
そのほかに、津和野の四季の夜空を映し出すプラネタリウムや、うれしいことに、昭和初期の木造の教室が再現されています。教室に入って、思わず、生徒の椅子に座ってみる方も多いと思います。さらには、図書館もあります。図書館では、安野光雅氏の作品の他に、世界の絵本も自由に見ることができます。子供たちが、一生懸命読んでいる姿をよく見ます。